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蛇トーテムは、他のトーテムと比較して圧倒的に古い歴史を持つトーテムです。
あらゆる古代文明の起源には必ずといっていいくらい、蛇についての神話・民話の記録や蛇の姿や模様を描いた美術が確認できます。
ただ、なぜか悲しいことに、蛇の神話・民話のほとんどは蛇を邪悪な破壊者として描いており、昨今の映画や小説でも悪役の象徴のような使われ方をすることがたいていです。
現在最もよく知られた神話の蛇は、旧約聖書「創世記」におけるアダムとイブへのたぶらかしを試みる邪悪な蛇です。
女はへびに言った。
わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
ただ園の中央にある木の実については、
これを取って食べるな、
これに触れるな、死んではいけないからと、
神は言われました。
へびは女に言った。
あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
それを食べると、あなたがたの目が開け、
神のように善悪を知る者となることを、
神は知っておられるのです。
この文を読んでどのように解するかは人それぞれですが、蛇の気持ちになってみれば「そもそも神が嘘をついているのではないか」「己の力で目を開いて考えて善悪を判断できるようにしたことの何が原罪なのか」と文句の一つ二つ言いたくなるところですね。
では、そもそもこの蛇トーテムというのがいつどこから登場したのか、ということになると、これは非常に難しい問題です。
というのも、人間の文明の初期に「神」の姿として描かれたものはいずれも「龍」と「蛇」の区別が難しく、龍トーテムの起源と混濁してしまっているからです。
八卦において重要な知見として、そもそも最初に大いなる混濁状態のから陰陽が分かれていった、という考え方があります。

この原初の混濁を「太極」というのですが、ここから陰陽に分かれた世界の在り方を説明する際に雌雄一対の龍が相食む姿がよく描かれます。伏羲・女媧や登り龍・降り龍、ウロボロスなどですね。
ここから分かるのは、本来蛇は神なる龍と一体のはずであったということです。それがどういうわけか陰と陽に隔たれ、別々の存在となって世界をぐるぐると回し続けているようです。
その理由はまだしばらく分かりそうにありませんが、ともかく、楽園に侵入してきて住民をたぶらかすこの蛇という存在は、大元はその楽園の支配者たる神と同じ存在であったというわけです。
したがって、世界各地の古代文明において龍と蛇がよく似た姿で繰り返し描かれることも不自然なことではありません。元が同じ信仰なわけですから、分化していけばそれぞれの特徴を獲得していくのです。
そして、蛇が獲得したのは、龍が創り出した秩序の中に発生した矛盾を切り開き、新たな秩序への萌芽とする変革の先導者の立ち位置です。
たとえば、日本に伝わる蛇の物語に「黒姫伝説」というものがあります。
これは黒姫というたいそう美しい姫と愛を交わした蛇の物語で、狭量な領主が蛇を排除しようとした結果、逆に城下を嵐で破壊されてしまうという話です。
この話は「蛇と黒姫の二人は山の池へと移り住み、以来この地を守る神となった」というラストであり、破壊と再生を循環する壮大な物語となっています。
ここでは蛇は次代の神として扱われており、決して邪悪なだけの存在ではありません。バリエーションによっては、殿様が悪政をしいていた、黒姫が権力争いの道具にされそうになっていた、などの既存秩序の矛盾点がより強調され、蛇がそこに現れる変革者としての立ち位置をより強めています。蛇は邪悪なだけではないのです。
昨今、というか20世紀~21世紀初頭までの物語の類型は「平穏な世界に破壊者が現れ、これを阻止した」というものが圧倒的多数を占めていました。ここでは蛇は「諸悪の根源」として登場し、既存秩序を守るヒーローがそれを打ち破るというのがお決まりのパターンでした。
これは既存秩序が相応に豊かで矛盾を乗りこえる力を持っていたから成り立っていた物語です。かつてはこうした物語が本当に人々の心を癒していたのです。
しかし、そこにも変化が発生しつつあります。今では「秩序の中に問題が発生し、それとどう向き合っていくか」というのが主流になりつつありますが、それもまた新たな潮流に変化してくことでしょう。
次の潮流では、蛇が創り出す新たな秩序への曙光が次の時代へ、つまり現実での変化へ直接繋がるような流れになっていくのではないかと思われます。
蛇の物語の開始が待たれているのです。

蛇トーテムイメージキャラクター:蔵本烈